<< 使ってるスキンケアとか | main | ニューヨーク、ニューヨーク >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | -

2011年にあったこと

今年はいろいろ経験したので、思い出しつつ追記してみようかと思った。
とてもプライベートな内容も含むので、ホント自己満的なメモ的な日記にさせてください。

・親戚の孤独死
・小笠原諸島の観光地化
・後輩の自死
・日本の同性愛者について
・適応障害

以上が今年あった出来事、考えさせられた出来事です。


<親戚の孤独死>
私にとって、亡くなる親戚というのはどちらかと言うと高齢で、
何か病気を患っていたり入院が長かったり、
何かしらの兆候があるのが“当然”でした。

なので、今年のお正月開けてすぐの月曜日に
「叔父さんが亡くなった」という連絡がきて本当にびっくりしたし、
それが亡くなって3日後の発見だったという事実もとても衝撃的でした。

叔父は私の義父の弟なのですが、まだ50代でした。
初めて会ったのが私たちの結婚式のときで、
そのときは正直、「あまり話せないかな」と思っていたのですが、
その後義理の祖母の入院や死去に伴い数回会うようになり、
接する機会が多くなってきて、去年9月末の法事のときにも
最後の別れ際に「じゃ、またな!」と手を上げてくれるような、
そんな叔父でした。

それがまさか、最後の笑顔になるとは。

長らく病気を患っていたのは知っていたのですが、
それも後遺症を残しつつも仕事できるまでに回復し、
後遺症と闘いつつ一人で生活していた叔父。
後遺症が残ってしまったこととの葛藤もあったそうなのですが、
「これから頑張って生きていこう」と話すようになって矢先の出来事だったと、
義父から聞きました。

だから、この件については「孤独死」という事実を目の当たりにしたのと同時に、
生きていこうと強く思っている人の命も、本当にあっさりと終わってしまう、
と言うか奪われてしまう(何に、と言うわけではなく、本人の意思ではないので
「奪われる」という表現が的確な気がします)のだということが
同じくらいショックで、近い親戚ではないものの、しばらくショックは続きました。

そして、こういう突然の死というのが今後はあり得るのだろうな、
と考えました。
もしかしたら私の年齢からするとあまりにも遅い認識なのかもしれませんが。

<小笠原諸島の観光地化>
今年5月のGWに小笠原の父島に行ってきました。
私にとっては8年ぶり、3度めの父島でした。

初めて父島を訪れたのは私が高校2年のとき、親友と2人という、
今考えると明らかにチャレンジャーな旅だったのですが、
そこから考えても8年前から考えても、想像できないくらい父島が
観光地化してしまっていて驚きました。

奇しくも世界遺産の候補にはなっていて、
私たちの旅行のあとに暫定的な世界遺産決定の結果が出る、
というタイミングだったこともあり、役所としては
「世界遺産登録へ!」というモード一色に押し出し、
観光客もそこを楽しみにしていた方が多かったように見受けられました。

観光地化して良かったこともあります。明らかに便利になりました。
アフリカマイマイも劇的に減りました。
(アフリカマイマイ:脳神経に作用する有毒性の大きなかたつむり)

初めて行ったときは、大村海岸の砂浜手前までアフリカマイマイがきていて、
こんなに害虫がいるのか!と衝撃を受けたのですが、
8年前に一人で行ったときはバスが通っていて
(高校のときはバスなんてなかったので)、バスの運転手さんから
島の方々で駆除に力を入れていて、とても減ったんだよ、
と話を聞いたのを覚えています。

携帯電話も、GWはドコモとauの通話はつながったのですが、
この夏からSoftbankもつながり、iPhoneユーザーとしても便利になったと思います。

でもでも。
便利になった分だけ、
その分素朴な感じとか本来の雰囲気が変わってきてしまっていて、
それまでのんびりとしていたメインストリートもペンションが並んでいたり、
逆にお店をたたんでいくところもあったり、私が思ったのは、
今はいいかもしれないけれども、今後どういう方向に行くんだろう、
それは持続可能なのだろうか、ということでした。

“世界遺産バブル”とも言われる来島者数が続く小笠原諸島ですが、
それを抱える宿泊施設が必要だし、当然人がたくさん入ってくるし、
そういう人たちが求めているものってたぶん、“小笠原ってこんなところ”っていう、
ガイドブックや写真集で見る景色や文化だったりするんじゃないかと。
そういう期待に応えるには、
その若干脚色されているかもしれないイメージを提供しなければならなくなる。

あの美しい島を多くの人が見て、私が得た感動を得る、共有できるのは
すごくうれしいけれども、私が最初に知った父島にはもう戻らないんだな、
という我儘な残念な気持ちが付きまとう旅行になりました。

<後輩の自死>
これについてここに書こうと思っていたんだけれども、
並列させるには少し、微妙かなと思ったので。改めます。

でも。



しゅん、大好きだよ。
もう居ないなんて信じられないよ。










しゅんに会いに行きたくなるよ。















<
日本の同性愛者について>

いろいろ書いたけれども、消去しました。


<
適応障害>
2011年はまわりでこの診断をされる人が複数人いました。

私も前職のときに、ヒステリーを起こす直属上司の元で働いていて、
まわりの人にそのヒステリー攻撃がいかないように被る立場になってしまい
(これは私の性格上)、自律神経をやられた経験があったのと、
少なからず鬱やそれに関係する病状を患う人が職場にいたので、
それなりに理解できていると、勝手に思い込んでいたんだと思います。

自分の言動がどのように作用“してしまうのか”まで、ちゃんと考えてなかったです。

適応障害の症状の
一つに「仮想敵攻撃」というものがあると知ったのも、
自分がその対象になってからでした。曖昧には知っていたけれども…

その子にとってはきっと自己防衛の一つだったと思うんだけれども、
私よりもまわりの人たちが私のことを心配するくらいの言葉での攻撃を受ける結果となり、
そういうふうにさせてしまったことを本当に申し訳なく思いました。
さらに悪いことに、その子の発言がtwitter上でのもので
鍵もかけていないアカウントだったため、
共通の知り合いにはダダ漏れとなってしまう状況になってしまい。
そもそも私が特定の人へのネガティブな発言をtwitterでしてしまったのを、
自分宛てだと思ったのがきっかけのようでした。

どんな症状が出るかは人それぞれなのだし、
他人の言動がどう影響するかも、私には想像もできない結果になり得るのだと、
本当に痛感させられました。

と、表面的な内容になってしまっているのですが…

思い上がるのはよくないのだ、何かできると思ってはいけないのだ、と
自分の不甲斐なさを改めて認識したのと同時に
ある意味、身近な話題としてある程度の知識をまわりの人にも持ってもらいたいと
勝手ながら思った次第です。

| diary | 20:58 | comments(2) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

| - | 20:58 | - | -

Edit this Entry

Comment

追記待ってますね。

| てんどん@tendon0 | 2011/12/08 12:28 AM |

>てんどん@tendon0
ありがとう!ちょっと追記しました。

| えりさ | 2011/12/12 7:18 PM |

Submit Comment









Trackback URL

http://spumoni.jugem.cc/trackback/1176

Trackback